創業者桑原によるコラム「遊自耕」は、隔月発行の建築情報誌「飛翔」誌上にて連載しています。飛翔の送付をご希望の方は、飛翔送付申込フォームよりお申込下さい。(送付無料)

遊自耕 不常識を食らう シリーズno.145

軍隊はいらない 装備は最小限であるべきだ

国防軍は仮面をかぶった侵略軍

1950年「警察予備隊」(警察力の不足を補うための武装部隊)創設 75,000人(創設時)
1952年「警察予備隊」が「保安隊」(国内保安のための武装部隊)に改組 108,000人(改組時)
1954年「自衛隊」(日本における防衛組織であり「我が国の平和と独立を守り、我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ公共の秩序にあたる」武装部隊)発足 248,000人(現在)
2012年自民党が憲法改正草案に「国防軍」保持を表明
2014年安倍内閣が集団的自衛権行使容認の閣議決定
2015年わが国への武力攻撃がなくても自衛隊の武力行使を可能とする安保法制成立

自衛隊の歴史を振り返ると、自衛のための最小限の武装組織であるべきだという「民意」と、十分な武器と軍隊を持ち地域を限定せず軍事行動する強大な軍事組織にすべきだという「資本」*との間の、憲法をめぐる攻防戦であったと思います。

(*私の言う「資本」の主旨をご理解いただくには、資本=国家、資本=自衛隊との取引企業など、ちょっと調べてみて下さい。)

昨年成立した安保法制は、白昼堂々の憲法違反。これが、国民の安全や国家の防衛に必要だというのは、「民意」に反するものです。

国防軍ではなく国民救援隊に

中国の軍拡政策、北朝鮮の核開発、尖閣諸島の領有権問題などを好機として、日本国憲法改正や軍事大国化を目論む安倍政権を許してよいものか、考えてみたい。

日本は、1971年まで中華人民共和国を国家として認めず、中共と呼称して敵意を示してきました。また、当然のことですが、北朝鮮との間には第2次世界大戦に対する講和も成立していません。

しかし、この70年間、日本は外国からの侵略は受けていない。これは友好国アメリカの援護のたまものか、はたまた日本国憲法とそれを擁護する民意によるものかを、よく考え判断しなければなりません。

戦後長い間、日本は、日本国憲法に定める戦争放棄を前提に、諸外国との平和外交や経済支援などでその役割を担ってきました。

しかしここ数年、わが国の政権は、尖閣諸島の国有化や与那国島への自衛隊駐留など挑発的政策を実施し、しかも中国や北朝鮮を侵略国家のごとく決めつけて、自国の軍事力強化の必要性を国民に呼びかけています。

そして、これら一連の政策を積極的平和主義だと語り、国民のなかにある排外主義を煽り立てています。

さらにひどいことに、3.11東日本大震災(福島原発事故)も、熊本地震も、災害・有事に対応する強大な自衛隊の存在意義を主張するネタにして、憲法改正に向けて突き進んでいます。

自然災害に必要なのは、兵器や軍隊ではありません。求められるのは、国民的救援活動のできる平和的組織をどうつくっていくかであり、それには、自衛隊を、隊員も装備も縮小して国民救援隊に再編すべきだと思います。

軍事大国日本を許してはならない

わが国は、日清、日露、大東亜と戦い、最後には全面敗北しました。大東亜戦争では、ほぼ300万人の日本人の命が失われ、また、東京をはじめ全国各地が焼失し、広島と長崎には原子爆弾が投下されました。

なぜこんな戦争をしたのか? ヨーロッパより遅れて資本主義社会をめざす日本が、短期間に列強に加わるために資源を求め、強大な侵略的軍事国家を造ったからであり、それがなければこんな災難に巻き込まれることはなかったと思います。

日本の軍事力は、米露中に続くものだと評価されています。安倍首相は、この強大な軍事力をさらに拡大し、他国の支配とわが国の国力の強化につなげることに執着しています。

彼は、わが国の経済力と軍事力をもって、相対的に弱体化しているアメリカと連携し、世界に命令ができる強国をめざしています。国民の声に耳を傾けず、長年に亘り築いてきた主権在民、平和、民主主義の尊重を全面破壊しようとしています。

民意を無視して軍事大国化を推し進め、それを隠しながら、アベノミクスなどという経済成長優先の政策により国民の懐を豊かにすると錯覚させてきましたが、それも今や行き詰ってきています。

彼にいくら期待しても生活は改善されないし、侵略的軍事国家が再生されるだけです。軍事大国への道を突き進むことは、国民に対する挑発以外の何物でもなく、許してはなりません。

まず、7月の参院選で、日本の進むべき道を私たち一人ひとりの力で切り開いていきましょう。     (四十八)

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