当社代表桑原によるコラム「遊自耕」は、隔月発行の建築情報誌「飛翔」誌上にて連載しています。飛翔の送付をご希望の方は、飛翔送付申込フォームよりお申込下さい。(送付無料)
今私は、一生懸命社員と闘っています。その一部を紹介することにします。
社員たちは、仕事だけはそれなりに行いますが、自分を人格的に成長させる学びについてはほとんど取り組んでいません。
そして、それで良いと思い込んで自信に満ちている困った者も少数ですが存在しています。希望社でなければ及第点でも、希望社では生きられない人たちです。そんな社員たちにも、私は諦めないで、気付きを期待して語り続けています。
世のため人のために希望社を設立したのですが、世のため人のためとはどういうことか、社員はほとんど分かっていません。“分かる努力をすることが自分の主体を失ってしまうかのような考え方に満たされている”とでも言えるかもしれません。
そこで私は、「世のため人のため」とはどんなことか、社員に伝えることにしました。
まず、「世のため」とは、社会に役立つ業務を提供することです。そして社員は、希望社が売れるもの儲かるものを追い求め専ら利益拡大をめざしている会社でないこと、自分がその会社で働いている社員であることを、自立的に分からなければなりません。
この“社会に役立つ”とは次のようなことです。
次に、「人のため」とは、全ての人を指していません。
社会的弱者と言われる高齢者、障害者、失業者などは、心情的には対象ではありますが、企業としてできることは限定されているので、行政機関のセーフティーネットにゆだねています。
反対に、次のような組織・企業・人達は顧客としてはなりません。これは、コンプライアンスなどで分けているのではありません。
希望社が役立つ対象と役立ってはいけない対象があり、全ての者をお客様などと見ることは正しくありません。希望社は、弱い人たち、自らが何らかの生産に携わる人たちのために働き、その反対に位置する人のためには働きません。
また希望社は、業務提供の対象となる人たちを悩ませ苦しませることに対しては、闘っていきます。ただ業務に当るだけではなく、闘っていける社員になっていくことが大切であります。
顧客に媚びず真摯に働くことを身に付ける、それが理念を身に付けることの一端であります。
理念に共鳴して働く生産集団の実現希望社をなぜ設立したのか。希望社は世のため人のために役立っているのか。希望社は顧客からどんな評価を受けているのか。これらを正しく見られなければ、本来の希望社を掴むことはできません。
今、希望社が少数の建築主から強烈に全面的に否定されているという現実があります。その原因は、建築主の想いや怒りがわからない・気付かないで業務に当る社員が、少数いることです。
建築主への言い訳に明け暮れたり、蛙の面に小便という態度が習慣化していることを自己認識し、自分の濁った魂を研いていく。このことが生産することに伴わなければ、希望社で働くことにはなりません。
理念を身に付けるとは、このような魂の研鑽であり、会社にとっても社員一人一人にとっても一生かけて自己変革を続けていくことだと思います。
社員に分かって欲しいと語り続けている自分の中にも、不遜な自分が繰り返して頭をもたげてきます。苦悩の毎日であります。