当社代表桑原によるコラム「遊自耕」は、隔月発行の建築情報誌「飛翔」誌上にて連載しています。飛翔の送付をご希望の方は、飛翔送付申込フォームよりお申込下さい。(送付無料)
私は、高校卒業後28年の間清水建設株式会社に在職し、仕事を覚え、仕事に悩みました。
46歳で、建設業を業界本位のものから建て主本位のものに改革するために株式会社希望社を興し、それから65歳まで19年間、社員たちがこの仕事に誇りを持って働くことができるよう、考え方と仕組を提起し、そして試行錯誤を続けてきました。この実験は、実験牧場「希望舎」で繰り返されてきましたが、なかなか思うように進まず、道半ばであります。
65歳を迎え、思い残すことは山ほどありますが、新社長に会社経営の一部を移譲し、自分の生き方や働き方を見つめ直すことにしました。
今後70歳までは実質的役割を担いながら働き、その後は老害をまき散らさないよう、一線を退き悠々自適の人生を送ろうと思っています。
私も昔は紅顔の美少年で、瞳は摩周湖のように透き通り輝いていました(本当なんですよ)。
40歳を過ぎてから顔に染みが出始め、一つ二つと数えていましたが、今は数え切れません。50代に入ると頭髪に白いものが見え始め、今では言わずもがなであります。
私は生来、無理無体を許せない、要は喧嘩早いのでありますが、近頃それも「年をわきまえろ」「怪我をする」……。まあ、ひと皮むけて大人になったのかもしれません。
努力しないと心も老いていきます。喧嘩早いのも心の一つ。憤怒、情熱、真理、あるいはそれらの錯覚など。瞳に霞がかかった今でも胸をときめかす、そんな生き方を続けたい。自らをお爺と称するようになりながら。
2007年の飛翔新年号では、「ほのぼの豊かな高齢社会のために」という文章を書きました。
定年制廃止、年功序列型賃金制度廃止、成果型賃金制度導入。そうすれば、働く意志のある者は誰でも働くことができるし、少子高齢社会の人手不足も解消できる。
高齢社会は小消費の社会であり、多くの人々が生命の限界近くまで働き続けるのだから、本人も幸せ、会社もハッピー。人手不足対策は、定年後の再雇用制度導入などというチマチマしたことではなく、定年制廃止をダイナミックに取り入れたらどうかと。
希望社では、Tさんが昨年80歳で退職され、今は78歳のYさんが最高齢者であります。二人とも私の前職である清水建設株式会社の大先輩であり、彼らの知識と体験は会社経営にとって掛け替えのないものですが、なにより心の若さを感じます。
孫のお守りも庭木の剪定も……。でも、心の若さだけは持ち続けていたいものです。
強制やノルマは高齢者の働き方に合いません。高齢者はこれまで、企業戦士として自分を捨てて生きてきたのですから、これからは遊びと休養の合間に働く。どちらかといえば趣味と道楽に近いものではないでしょうか。
バリバリ働いて高給を、というのも、高齢者向けではありません。週一でも週二でも、1日4時間でも5時間でも。本人の気力や体力など条件に合わせて働くことが可能な、そんな環境が必要です。
昨今、建設業は若者にとって魅力的な業種ではなくなっています。若者が集まらない、だから建設業では、需要が半減しているのに人手不足が続いています。
高齢社会は少子社会でもあります。ないものねだりはやめ、高齢者を参画させることで、建設会社の経営はオールハッピーになります。
経験豊かな高齢技術者の再登場のために、私はその場造りを試みることにします。
当社が経営する認知症の人達のためのグループホームに、たまに行って駄弁ります。
「どちらさんですか?」「このホームの親爺です」
なかなか覚えていてくれない。
「このホームは優しい。住みやすい。ありがとう」
本当かね?どこか営業トークにも聞こえる。
「会長さんは何年生まれ?」「昭和16年だよ」「若くていいですね」
電車に乗れば1・2番の高齢者でも、ここでは私は若者。
「私なんか、まだまだ尻の青みが消えただけだ」
こんな会話は半時もすると忘れてしまうと、ホーム配属の社員は言います。
ホームのお爺ちゃんやお婆ちゃんのためにも、あと数年の間にやり残しを1つでもやり遂げて、そして静かにホームの仲間入りを果たすことにします。若い時の思い出を振り返り、定かでない明日に喜びを感じながらの毎日が待っているかもしれません……。
ゆるみかけたねじを締め直し、今年も頑張ります。