遊自耕82号

二刀流社員の誕生

アパレルの営業マンからの転進

伊藤久司、現在47才。彼は12年前、「建築がやりたい」という思いを胸に、希望社にやってきました。元アパレル会社の営業マン。独学で2級建築士を取得し仕事を探しているという彼を、希望社は迎えました。
しかし、資格はあっても、右も左も分からない全くの素人と同じ。絵心だけでは何ともならず、以後は茨の道の連続に。それでも彼は、苦渋の毎日を耐えてきました。

駄目男の波乱万丈人生

《伊藤久司 希望社入社後の遍歴》

1993年2月〜 入社、建築施工図作成業務に就く
1995年3月〜 阪神淡路大震災後、希望社が神戸に設けた「お助け小屋」で建築支援ボランティアとして建築相談を担当。
1997年12月〜 本社に戻り発注代行業務担当
1999年1月〜 会社の業績不振に伴い社外体験勤務(首を切らないリストラ)を命じられ、沖縄でさとうきび収穫日雇いなどに従事
1999年2月〜 彼の大学時代の友人に乞われて、不動産仲介会社に企画型業務の担当として出向
2000年2月〜 本社に戻り発注代行業務、意匠設計業務を担当
2001年2月〜 自分で設計した健康食品工場の施工管理業務を担当
以後、自分で設計し自分で施工する二刀流社員として勤務
2004年7月〜 アストリム岐阜工場新築工事 プロジェクトリーダー

小さな声、歯切れの悪い現場マン

優れた現場マンの必須条件には、人間的魅力、統率力などがあります。

久司君は、どう見てもその対象にはならない人物でした。小さな声、歯切れの悪い話し方、これでは多くの作業員等とのコミュニケーションはとれません。知らないのだからしょうがないのですが、ちょっと引っ込み思案で、職人にきついことを言えません。

こんな久司君ですが、建築が好きで、どうしても一人前になりたい、そんな思いを持ち続けていたのでしょう。現場を担当しない頃から、昼休みになると近場の現場を見に出かけたりする…、そんな彼がいました。

アストリム岐阜工場新築工事

健康食品工場の設計施工経験を活かすことで、建築主に更に良いものを安く提供することができるだろう。久司君をこの工事の担当に選んだのは、そんな理由でした。

約6ヶ月間の設計業務、2ヶ月間の発注業務、そして6ヶ月間の施工管理業務と、建築の全工程をプロジェクトリーダーとして担当させました。そして今年8月末、工場は完成し、顧客である建築主と喜びを共有することができました。

恒温・恒湿・防虫・衛生・生産効率など、複雑な課題をいくつもクリアし、大手ゼネコンの施工と比較しても遜色のない出来栄えです。

断末魔のシーラカンス

使えない図面しか画けない設計者達が、「施工に手を染めると、デザインが制限されよい設計ができなくなる」などと戯言を言いながら巷にあふれ、時代の要請に応えられなくなっています。

また、施工(工事)しか知らない苔むした現場マンは、「施工をそう甘く見てはいけない、施工は奥が深いので設計と施工を同一人が担当するなど考えられない」と主張しながら年を重ね、使い物にならない知識を保身のために金科玉条にしています。

情報革命が進んだ今日、こんな言い分は、時代に取り残されたシーラカンスの断末魔のように思えてなりません。就職して40年も同じような事を繰り返していたら、バランス感覚のない偏狭な人間ができてしまうだけです。

21世紀型建設業を創造する

18才で大手ゼネコンに入社し、設計を6年、その後22年の施工経験を経て思うことがあります。

設計も施工も、3年も経験したらほどほどのものになります。それから先、成長するか停滞するかは本人次第ですが、20世紀に確立した設計と施工を分離させた建築生産システムによって創られてきた一刀使いの技術者創りは、再考しなければなりません。

設計と施工を分離させたシステムを批判し、設計と施工を企業として一貫して提供することを目指す希望社が、設計と施工の両方ができる二刀流技術者創りを目指すことは当然です。そうしなければ、技術者の技量を高め昇華させることができないからです。

久司君は、建設業界における宇宙飛行士とも言えます。未知への挑戦への最初の勝利者の一人です。そして希望社では今、こんな人材がぞくぞくと誕生しています。

くたばれ20世紀型建設業。目指そう21世紀を支える新しい建設業を。胸が膨らみます。

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