当社代表桑原によるコラム「遊自耕」は、隔月発行の建築情報誌「飛翔」誌上にて連載しています。飛翔の送付をご希望の方は、飛翔送付申込フォームよりお申込下さい。(送付無料)
過日3月11日、東北地方で大震災が起きました。被災された方々には、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。
4月30日、地震・津波による被災地を見てきました。宮城県の塩竃市から、七ヶ浜町を経て名取市まで約30qです。
塩釜港周辺の道路は片付いていて、車の運行はできるようになっていましたが、道路の両端には流された車や漁船、それに各種の瓦礫が散乱していました。七ヶ浜町から名取市にかけては、集落全てが流出して建物の基礎だけが残る惨憺たる情景が、各地で見られました。
翌5月1日は、福島市から浪江市に入りましたが、まもなく危険地区通行禁止の案内板が現れたので、葛尾村へ南下したのち二本松市に戻りました。
この地域は津波被災地と異なり、盛りを過ぎた桜が点在し、菜の花が咲き競っていました。里山は一昔前に戻ったように平穏でした。が、原発から20q圏に近づくと、車輌にも人にもほとんど出会わず、家々の窓は閉められカーテンも降ろされて、無人の中にありました。
この災害は、大地震と、それに誘発された津波と原発事故ですが、地震は思ったより大きなものではありませんでした。
大津波はいつか必ず起こるものであると真摯に受けとめていたら、今のような自然の力を無視した開発はしなかったでしょうし、海抜0メートルに近い地域を自然のままに残していたら、被害を最小に留めることができたと思います。
原発事故は、そもそも危険なものを安全で環境に優しいと国民を思い込ませ、原子力発電所建設を押し進めたツケだと思います。メンテナンスや廃棄の計画も不十分なまま、ひたすら電力供給を拡大してきた愚かさにより引き起こされたと言えます。
今後の国のエネルギー政策は、安全神話にしがみついて原発を拡大していくことはやめて、経年した施設から順次廃棄し、新しいエネルギーに変換していくものでなければなりません。
産業資本主義段階を迎えた20世紀後半の資本主義経済は、大量生産と大量消費の産業構造を築きあげました。今回の災害は、このような経済社会に暮らすすべての人々が、継続して物質的豊かさを求める中で造られた都市や原発開発がもたらした災害だったと思います。
大災害による壊滅的破壊からの再建は、国家をあげて取り組まなければなりません。しかし今までのような生活水準を取り戻すことを目標に復興をめざすのでは、今回の教訓を生かしたことになりません。
日本の経済が減産、消費縮小に向かっている今、新しい町造りは、今までのような大量生産・大量消費のものでなく、少量生産・少消費で自然回帰型でなければなりません。電力消費半減も目標に、取り組んでいくことだと思います。
原発事故の行方はまだ分かりませんが、被災者の方々の職場や住居などの問題がどう解決されていくのかも、やはり見えてきません。
しばらくは先のことになるでしょうが、被災者が仮設住宅での暮らしや故郷を離れての仮住まいを終えて、住みなれた場所に自分の住宅を建てるとき、その支援が私達の役割だと思います。
建築価格の便乗値上げ禁止を指導するよう国家に働きかけ、建築資金の国家による支援を実現する運動を広く推し進めつつ、限りなく安価な住宅を供給することを目的とした企業連合を構成して、大量の需要に応えていきます。