当社代表桑原によるコラム「遊自耕」は、隔月発行の建築情報誌「飛翔」誌上にて連載しています。飛翔の送付をご希望の方は、飛翔送付申込フォームよりお申込下さい。(送付無料)
3歳から8歳まで疎開していた父の実家の蚕室は、60W(たしかそうだと思う)の白色電灯1ヶでした。100Wを灯したときの明るさを祭のように感じていたことを、覚えています。
電気の契約は灯数による契約で、積算電力計などありませんでした。そのころの祭の屋台の照明はカーバイトを焚いていて、電気などありませんでした。
医療は遅れており、薬も充分でない時代でしたので、湯治に行くことになりました。武田信玄誕生の地、積翠寺温泉です。
旅館の電灯は自家発電でした。水深30cm、幅1mくらいの谷川の小さな水車が、発電の原動力です。点灯は夕闇せまる頃から夜8時まで。8時になると消灯でした。
積算電力計の契約条件など知る由もありませんが、電灯は居間と座敷と台所に1灯づつ灯いていました。便所は真暗闇のままでした。電気器具はラジオと扇風機が各1台。他には何もありませんでした。
4畳半の照明はサークラインの蛍光灯でした。壁にはコンセントが付いていたと思います。部屋にある電気器具は、ラジオ、扇風機、電気コンロ、電気炬燵各1台。もしかしたら電気行灯もあったかな。
高度経済成長政策という国策が進んでいる時期です。毎年物価が上がり給料が上がりました。物価と月給が駆けっこです。その時は増産のために踊らされているなどとは思っていませんでした。
住居は、会社が借り上げた社宅扱いの2Kの木造住宅です。すでに家電品という言葉が生まれており、洗濯機・冷蔵庫・白黒テレビが、神武景気にちなんで「三種の神器」などと言われていました。
電気のある暮らしが幸せとなり、そのために一生懸命働く変な価値観が生まれてきました。「三種の神器」は、間もなくカラーテレビ・クーラー・自動車の「新・三種の神器」に変わっていきました。
家電品がひととおり揃うと、次は車。最初は軽自動車だったマイカーは、やがてクラウンになります。
そして住宅です。ローン漬けになり増産の手助けに血道をあげていたら、原発事故が発生しました。環境だ、エコだ、と言っているうちに、地球は生物の住めない星になっていました。もう目を醒ますことにしますか。
契約電力は40Aです。マンションの8階、当然エレベーター付です。エアコン2台(1台はまったく使わない)、370Lの電気温水器、電子レンジ、2口のIHヒーター、その他家電品多種大量。
しばしばブレーカーが落ち停電。最高容量を越えるからであります。落ちないようにするには、IHヒーターを使う時は電子レンジを使わない、両方使う時はエアコンを使わない。なかなか上手になったものです。
私が建築屋だから、住居はゼイタクです。床面積50坪の2LDK、エレベーターが自宅に飛び込んできます。電気製品は、節電を考えたつもりで決して多くはないはずでしたが、使わないもの山の如しであります。
古妻は発電所長です。屋上には5kWの太陽光発電設備が設置されています。古妻はほとんど電気を使いません。爪に火も灯しません。そうやって、毎月中電に2万円分の電気を売っています。逆に、亭主の道楽のための電気を中電から1万円弱買っています。電気なんか自分で作っているのです。
電力不足が心配だ、冗談じゃない。電気はピーク時の容量が必要で、ピークでない時は捨てていると言うではありませんか。電気を必要な場所で必要な時だけ使う訓練をしたら、契約容量など半減できます。
私は恐竜の時代に戻ろうと言っているのではありません。わずか60年ばかりを振り返り、現代の狂気を知ることが、人類としての反省と使命だと思います。電気の消費を徹底して縮減し、あんまりあくせくせずに暮らすことが幸せではありませんか。
そのためには消費電力半減国民運動を起こすことです。電力会社が倒産します。国策会社の倒産で官僚体制も弱体化します。当然原発は停止になります。ねぼけて居る政治屋共も目をさまします。
私は屋上で芋とカボチャを作っています。国民運動に共鳴できる人は、お手紙を(FAXでもいい)ください。庶民による政治改革運動として本腰を入れることにします。